オラトリア

どんな時でも気持ち次第でなんとかなりそうな話(そんな自由を守りたい話)

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Woman Wearing Hippie Glasses

いろんな国に行って、いろんな人と出会って、「人間ってみんな同じだな」って、よく思います。楽しいことが起これば、楽しい気分になるし、悲しい出来事が起これば、悲しい気分になるし。

 

『どんな時でも、考え方次第』だと思います。

 

そう思ったキッカケは

たとえば、ぼくは日本人だから、よくチャイニーズって勘違いされます。ていうか、ぼくだけじゃなくて、日本人なら、誰しも海外でそういう経験すると思うけど、そんな時に、内心どこかでイラっとしたり、悲しい気分になったり、なにかしら『ネガティブ』に感じるのが普通の日本人だけど、そこで、楽しい気分になれたりもする。

つまり、そこでユーモアとして捉えることもできるし、真面目に『人種差別』という社会問題として考え始めてしまうこともできる。気分次第で、物事の捉え方がぜんぜん変わってくるんですよね。

だから、なるべく多くの『良い感情』を持ち続けたい。

 

人付き合いに注意を払いたい

Silhouette of 4 Women With the Background of Birds Flying Under Yellow and Grey Sky

どうしても、人が2人以上いると、知らず知らずのうちに、お互いに影響を与え合うと思うんです。

なぜなら、今、ぼくはアルゼンチンで彼女と同棲してるけど、彼女の変化にはけっこう気づくことが多くて、たとえば、なぜか、ぼくの口癖が彼女に移ってるんですよね。だから、きっと自分自身も、自分では気づいていないけど、彼女の目には、ぼくにも変化があるんだろうなって思う。

 

それで、『人間はお互いに影響を与えている』っていう前提があれば、どうしても、やっぱり良い人間と付き合いたい。っていう結論になりませんか?

他人から一切影響を受けない鉄壁のガードを持った人なんていないと思います。人間って、どうしても他人から影響を受けてしまうんですよね。

 

じゃあ、『どんな人間と付き合うか』ってのが重要なんだと思うけど

あんまりにも過激な思想な人とは近い距離では付き合いたくないな。

近い距離で付き合う人は良い感情をたくさん持ってる人がいい。

どんな時でも明るくて、楽しい気分をキープしてる人とか、どんな時でも真面目な人とか、そういう良い人と付き合いたい。

ポジティブな感情を持ち続けたい

Group of People Enjoying Music Concert

最近、覚えたジョークが

誰か外国人と一緒にいて街で犬を見かけた時に、「犬が食べたい」っていうと「えっ?」って返ってくる。そりゃ、そうですよね(笑)

 

そこで

「いやいや、冗談だよ(笑)犬を食べるのは中国人で、日本人は食べないよ(笑)

 

って言うんです。これジョークなんですよ。

意味合いは、まず外国人は、中国人が犬を食べるっていう話は一般常識並みに知っているし、犬猫を殺して食べるなんて、かわいそうって思っているから、

「驚かしちゃってゴメンゴメン(笑)安心して!日本人は犬食べないから(笑)」

ってビックリさせるジョークなんだけど、自虐的に捉えるとこんなこと言えないですよね。ドッキリさせようっていうイタズラ心と、優しい気持ちが籠っていないと、違う意味として相手は捉えてしまいます。

 

気持ちを込めるには、本当にそう思っていないと伝わらないし、仮に本気でそう思っていても、シャイな性格だとうまく表現できなくて伝わらないし、『どう感じるか、どう思うか』『表現する力』の2つが大切なのです。

自由権

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『どう感じるか、どう思うか』『表現する力』の2つが大切。

この2つを政治学では自由権と呼んでいて

国家から制約も強制されず、自由に物事を考え、自由に行動できる権利

(引用ː自由権 - Wikipedia

 

ぼくたちに保障されている自由なんだから、行使していいはずなんだけど、せっかくの自由を行使していない人が日本には多い気がします。社会的な圧力がかかっているように感じることが多いです。

 

『どんな時でも気持ち次第でなんとかなる』ためには『どう感じるか、どう思うか』(インプット)『表現する力』(アウトプット)の2つが大切。その2つを保障しているのが基本的人権のひとつである自由権

その自由権は、日本国憲法でちゃんと、ぼくたちに保障してくれているから『どう感じるか、どう思うか』(インプット)『表現すること』(アウトプット)に対して、臆する必要なんてないはず。

 

海外に出た日本人の多くは、多くの外国人から

「もっと、自分らしくありなよ」(『どう感じるか、どう思うか』(インプット)

とか

「もっと自分を出しなよ」(『表現すること』(アウトプット)

とか

そう思われます。

 

そんな日本人の現状からよく思うのは

「日本の民主主義は欧米と比べて30年遅れているな

ってことです。

 

日本の民主主義

日本の国家体制は、なにかの出来事に対して、それが、どう自分の中に入ってくるか。『どう感じるか、どう思うか』(インプット)

『表現すること』(アウトプット)

を抑制しているんだと思います。その原因が長い間日本を支配してきた権威主義であると、ぼくは考えます。権威主義と、民主主義は180度違います。

権威主義

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政治権力が一部の集団に集中し、その権威に服従する体制を政治学では『権威主義』と呼びます。日本は長い間、武士が権威者として社会を支配してきました。明治維新を迎え、天皇を中心とする新しい社会が形成されてからも、権威者が武士から天皇に変わっただけで権威主義自体は維持されます。日本人は自らの手で権威主義に立ち向かうことなく1946年1月1日、天皇が「人間宣言」を行い神様であることを自ら、否定し、権威主義は公式上、終焉します。

民主主義

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日本は1639年~1854年まで約200年もの間、鎖国していました。この時期、世界では権威主義に反対する様々な市民運動が起きています。イギリスでは清教徒革命、名誉革命。アメリカでは大陸会議独立戦争。フランスではフランス革命。これらの結果、市民は自らの手で自由と平等を勝ち取ります。日本の場合は、日本人自らの手で勝ち取ることなく明治政府によってもたらされた「天皇を中心とする権威主義の中にある制限された民主主義」でした。この違いが今も日本人と外国人を隔てている大きな壁だと、ぼくは考えています。

まとめ

①物事は捉え方次第で楽しくもなるし、悲しくもなる。気持ち次第で、物事は転がり方が変わってくる。だから、なるべく多くの『良い感情』を持つ。感情を持つこと自体は憲法で保障してくれているから感情を持つことに対して臆する必要はない。その感情を表現することも『表現の自由』として憲法で保障してくれているから、表現することに対して、臆する必要もない。②それで、なるべく多くの良い感情を持つためには、なるべく多くの良い感情を持っている人と付き合う。なぜなら人間は他人から影響を受けてしまう生き物だから。③もしも、その自由権を奪われたら、ぼくたち人間は大量生産されたロボットのように『どう感じるか、どう思うか』みんな同じ、『表現する方法』もみんな同じ、そんな『ロボット人間』になってしまいます、この『自由』は先人たちが守ってきたように、これからも未来永劫、守っていかなくてはいけない。ぼくたちも次の世代のために守っていかなくてはいけません。④自由を行使する『権利』は、当然、行使するべきだし、その自由を守るのは、もはや庶民の『義務』である。民主主義は、ぼくたち民衆が守っていかなくてはいけない。

 

どんな時でも、気持ち次第で、なんとかなる!!

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